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「静かに行くこと、遠く内省すること」
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四分の狂気と六分の正気。その狂気に芸術の神は降りてくる。
私は、変わらない。変われない。ただ、このことのみを不器用に信じてきた。
空間や景観を相手に幾度も幾度も変わらず丸太や陶ブロックを積むことは、神無き時代の信仰への希求だ。時折、本当に時折、見えない何ものかの力を借りて作品が出来てしまうことがある。私は、いつも静かに遠く内なる狂気に憑くその何かを内省しながらじっと待つのである。
屋内の展示は、いつもアーキタイプの提示になる。7年ぶりのなつかでの個展は、一歩だけ遠くへ行きたい。なつかでは内省を、つづく9月の雨引では屹立する孤高をみせたい。気まぐれな憑依者に、私は少年のときから、切に真摯に嘘なく向き合いたいとずっと変わらず変われず願ってきた。
15の時、図書室でふと手にしたTimeLifeの心の話という本で初めて狂者の自画像を年代順に見たとき、少年の私には、次第に進行するその病の闇の深さと真逆に表現された精神が次第に透明に高貴になっていく様を言葉にできず、ただただ感動し絵を支える狂者の精神の崇高さが私の心底に落ちていった。
翌週、授業のおり普段は見もしない中学の美術教科書を捲ったとき、不意にその狂者がVanGoghであると知った驚愕の瞬間から、私は美術という世界から逃れられずにいる。それほど私は貧しく無知であった。
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