高浜利也展
2005.1.11(tue)−2.10(thu)
ギャラリーなつか&b.p
略歴
2016 2014 2012 2011 2008 2005 2002.7

≪ 移動計画 ≫
宇宙的、神秘的、そうコスミックな印象をたたえた初期から、黒と白が画面上でしのぎを削る銅版画へ。タイ留学以前の高浜の作品を端的に言えば、そんなふうに表せるだろうか。だが1998年から2000年にかけて2年に及んだタイでの生活を経て、作品の表情は大きく変わった。具体的な形が、対象が溶け込むようになったのだ。
例えば、開催中の二つの個展の一方に並ぶ近作の銅版画「TOKYO HOUSE」。帰国後、一棟の古びた家を借り受け、自ら増改築するなかで生まれたおびただしい数の図面やスケッチに由来するその作品には、家の構造が、ディティールが顔を出す。極端な富と貧困、ハイテクと隣合わせのアナログ的生活など、タイで味わった強烈な現実体験が、自分の観念的な思考を吹き飛ばした、と高浜は変化のわけに触れる。
具体性への関心がひときわ鮮やかなのは、もう一方の会場に並ぶ新作「移動計画」だ。
会期を通じて公開で制作されること作品は、実際に使われるはずの家の床だ。区画整理のため、自ら改修した家を立ち退く必要に迫られる作家が、いずれ移り住む新居にすえる予定の床である。
非日常のはずのギャラリーに突如出現した現実に、面食らうのは無理もない。だが懸命に大工道具をふるう作家が踏む床板の下をのぞくと、そこにはビニール製のボールが・・・。作り始めたのはいいけれど、新居となる家はおろか、場所も未定と高浜は明かす。作家の私的な不安、あるいは私たちの周囲にあふれる見せかけの安定、平和、それらさまざまな思いが、いつ破裂するかもしれないボールに、ユーモラスな表現に溶け込む。
作業としてのおびただしい数のドローイングが、本来の目的から次第に離れて造形的な快楽を求める行為に移行し始めたという自覚を、かつて自らの家を改修するなかではっきり意識したと高浜は話す。現実と創作、その分かち難い思いが、最近作ににじむ。1966年生まれ。
高浜利也展覧会評 毎日新聞展評記事より
(毎日新聞学芸部:石川健次氏)
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