ふだんはそれと気付かずにすごしているけれど実はかけがえのない大切な、という意味で、(空気のような....)とたとえたりします。癌とのつきあいの中で、自分の身体の内側と外側について思いをめぐらすうちに、ある時、純粋な「空気」というものは普通の暮らしのなかには無く、ここで空気と言っているのは現実には必ずある気象状況下の空気だという、この何でもない当たり前のことに目を見開く思いをしたのです。そしてこのなんでもない当たり前の空気はまた同時に、大気圏として切れ目なく地球をぐるり取り巻いている、という事実。身体に直接的なその日の天気は、生き物である地球を包み込み生かしつづけている大気圏の現象のひとつのあらわれであること。そして何より生命の根源である太陽エネルギーがこの空気の層を透過してやってくるということ。
地球も呼吸するひとつの生命体であると考えれば、この大気圏に問題が生じればどういう結果をもたらすのかが、日々地球の各地から様々なかたちで伝えられてきています。
今、自分にも何かできることがあるのだろうか?そんな自問に制作の手が止まるときには、答えがみつからないままに、(いつの日か、真によろこばしい美しい晴れの日がやってきますように...。)と呟きながらふたたび作品にむかいます。
あ・し・た・て・ん・き・に・な・ー・れ! |